(【シンママ奮闘記】今日もてんやわんや

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【挫折後再びファイティングポーズを】シンママは負けない!

手術の後遺症と仕事


アラフィフシンママのかなやんです(^^♪



かなやんは過去に乳腺葉状腫瘍の再発で、左乳房の切除の経験があります。


病気にも手術にも、その後の離婚にも負けず乗り越えてきました。


ですが後々支障が出て、働くことに恐怖を感じ挫折を味わうことになるのです。

kanayanmama-blog.hatenablog.com


手術の後遺症


離婚後は子供たちとの生活の為、倉庫のパッキングをして生計を立てていました。


重いものを運ぶ仕事なので身体の負担も大きく、仕事中度々品物を落としてしまったり徐々に物が掴みづらくなり、家では食器洗い中によく落として割るようになり左手の異変に気が付きました。



その後左手の強張りが出始め働けば働くほど痛みが強まり整形外科を受診することに。

検査の結果、左肘の尺骨神経麻痺(肘部管症候群)との診断でした。

多分手術の後遺症と、労働で無理がかかった為だろうとの事。


治療法は暫く神経の薬を飲んで改善されなければ手術との事で、神経の場所を移動して神経への圧迫を軽減する『尺骨神経移行術』という手術を受けました。


手術後は痺れや痛みは軽減されましたが、医師から倉庫の仕事は無理だと言われその後退職しています。


失業保険を受給しながら、ハローワークで求人の検索をしても、年齢的にも厳しく介護と事務くらいしかなく、必要に迫られパソコンと介護の資格を取ったのです。

その後麻痺も緩和され、介護職の道へ進むことに決め、面接の際に身体の事情をしっかり話して就職しました。


不安もありましたが重度介護は殆どないからとの事で、訪問介護員として働き始め、仕事はきつかったのですが、元々おばあちゃんっ子だったので、利用者さんとの会話は癒しとなり励みにもなりました。


訪問介護を始めて3年が過ぎた頃、ある程度の身体介護にも入っていたので身体への負担もピークになってきて、また左腕の痛みや強張り、更には就寝中背中の痛みで眠れなくなり、疲労が蓄積されていきました。

そんな中、ALS(筋委縮性側索硬化症)という難病の利用者様の、移動支援の仕事を任されました。

1. 筋萎縮性側索硬化症とは
筋萎縮性側索硬化症(ALS)とは、手足・のど・舌の筋肉や呼吸に必要な筋肉がだんだんやせて力がなくなっていく病気です。しかし、筋肉そのものの病気ではなく、筋肉を動かし、かつ運動をつかさどる神経(運動ニューロン)だけが障害をうけます。その結果、脳から「手足を動かせ」という命令が伝わらなくなることにより、力が弱くなり、筋肉がやせていきます。その一方で、体の感覚、視力や聴力、内臓機能などはすべて保たれることが普通です。

※ 難病情報センターよりお借りしています。

症状も進行しており、立位も保てない状況の方だったので、一度同行してみて出来そうだったら受けることに決まり、同行当日の事。

運悪く責任者が急な会議が入り、同行できないので一人で行ってとの連絡が入り、物凄い不安が的中しあの事故が起きました。


生活まで変える介護事故


前日介護の講習をしている先生に個別で特訓してもらい、しっかり備えていましたが、初めてで大丈夫か?との不安は消えず、でもサービス時間は迫ってくる。

緊張しながらの初訪問で、利用者様も不安そうにされていました。

悪条件は続くもので、シルクのツルツルとしたワンピースにモヘアのカーディガン、後で分かった事ですが、中はシルクのツルツルしたスリップを着用されており、小柄ですが横にかなり大きい方でだったのです。。

室内用の車椅子から外出用の電動車いすに移乗介助の際、電動車いすの方が10センチ程高く、上に引き上げるようにスライドしたところ、シルクの洋服がツルツルと滑り、下へスルスルと下がっていき利用者様を落としてしまいました。

その際に少しだけ力が残っていた利き足を捻挫させてしまい、その後の生活を変えてしまう事故となり、保健を使っての緊急対応がその後3ヶ月続きました。



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人にケガをさせてしまった事。

生活を変えてしまった事。

会社に迷惑を掛けてしまった事。

全て、震えがくるほどのショックを受けました。


責任者が来なかった事。

同行と引継ぎが無かった事。


 
起きるべくして起きた事故でした。



この事故で出来た傷はかなり深く、そもそも身体的な欠点もあり、介護をしてはいけない人間なのかもしれないと思うようになり、職場でも出来ないのなら気持ちよく辞めたら?と言われたりもして、訪問介護3年と7ヵ月で一度退職することとなりました。



リハビリ生活からの復帰


病院を受診し、背中の痛みの原因と手や腕の感覚の鈍さを診てもらうと、胸郭出口症候群、肘部管症候群、手根管症候群からの廃用症候群との診断でした。

廃用症候群⁈私が⁈と、ただ驚くばかりでした。

結局、手術によって可動しにくくなった筋肉と、血流やリンパ液が流れにくくなり、普段の労働が負荷となって廃用症候群となってしまったとの事。

リハビリは長期継続と言われ、手術で動きにくくなった筋肉や関節のストレッチを主に行い、経過を診て行く事に。

廃用症候群とは

出典: フリー百科事典『ウィキペディアWikipedia)』

廃用症候群(はいようしょうこうぐん、英: disuse syndrome)とは、安静状態が長期に渡って続く事によって起こる、さまざまな心身の機能低下等を指す。生活不活発病とも呼ばれる。特に病床で寝たきり状態でいることによって起こる症状が多い。

また、寝たきりや行き過ぎた安静状態が長く続くことによって起こる筋肉や関節などが萎縮すること[1]を廃用性萎縮(はいようせいいしゅく)という。

筋萎縮
関節拘縮
褥瘡(床ずれ)
廃用性骨萎縮(骨粗鬆症
起立性低血圧(立ちくらみ)
精神的合併症
括約筋障害(便秘・尿便失禁)
などが挙げられる。
 

※フリー百科事典『ウィキペディアWikipedia)』からお借りしています。


再び手術の後遺症で失業することとなり、リハビリと失業保険での生活の中、半年間求職活動を続けながら介護事務の資格を取りました。

ですがせっかく取った資格ですが、左手の動きが悪くタイピングが遅いため面接で落とされてばかり。

介護も重度の身体介護が出来ないというと、パート勤務でと言われる。

子供の高校進学、更には大学進学の事も考えなくてはならず、なかなか就職先が決まらない。


どんどん気持ちが落ちていき、心は挫折感でどん底でした。

失業保険の給付期間も終わりに近づく。


そんな中、前の職場の管理者から、戻ってきてとの電話が毎日のように来るように。

そんな恥さらしな事は出来ないと、何度も断っていましたが、身体介護出来なくても良いから業務を助けてほしいと言われ、恥を承知で前の事業所に出戻ったのです。


出戻りから約3年が経ち、未だに良い顔をしない人も居ますし、陰口を言う人も。


気にもなりますし、引け目も感じます。


事業所の利用者数は約160人。

その中の重度介護は2人。

重度介護者の比率=2人÷160人×100=1.25%
たったの1.25%です。

その他の98.75%の仕事は出来るのです!


事務処理も得意なので、随分と提案して業務を改善して来た功績も認められています。


身体介護が出来ない。

ずっと引け目に感じていましたが、人より出来ることもある。

98.75%は出来る!


そこにやっと気が付き、再びファイティングポーズをとることが出来ました。

心の傷は残っています。

恐怖心もあります。

生身の人間を向き合うのですから当たり前のことです。



それでもその辛さから逃げたら、また同じことにぶつかり、同じことで悩み、苦しみます。

今、乗り越えなければいけません。


きっと大きな意味となり、学びとなり、自分の力となって、これからの自分の助けとなってくれることでしょう。


明日からも、この場から逃げずに頑張ります。



最後まで読んで頂き、ありがとうございました(^^♪